先日、高校の同級生で昔から仲のいい友達から悩み相談を受けることがありました。
悩みの内容というのが、仕事場の人間関係についてでした。
彼は銀行に入社し、8年ほど現場の営業を経てから部署異動となり、研修担当の業務へと異動しました。
銀行員というのは配属先の異動が多いそうで、その時に生まれ育った広島から縁もゆかりもない山口県の下関へと移ることになりました。
異動先では研修内容を自分たちで企画し、新人を集めて実際にその企画内容で研修や教育を行うのが仕事です。
そんな彼も研修の企画を任されるようになったもののなかなかいい案が浮かばず、出す企画がことごとく上司に批判され、ついにはその上司が苦手になってしまいました。
そこから仕事に対して前向きに取り組むことができなくなり、会社も休みがちになり、どうしていいかわからなくなってしまったそうです。
ぼくも以前は会社で苦手な上司がいて、その人が視界に入るだけで緊張してしまい、一緒の仕事を担当すると普段では失敗しない簡単なことでも、変に緊張してしまうせいかミスをしてしまうということがありました。
そういったことになったキッカケは、本当に些細なことだったと思います。
それが結局積み重なっていき、上司もぼくを意識するようになり、お互いがよくない関係がしばらく続いていました。
ただ今ではその関係を改善することができました。
なぜ乗り越えられたかというと、それは相手を気にしすぎないということを意識できたからだと思います。
その上司もぼくも所詮は同じ人間なんだ、と。
同じ日本人じゃないか、と。
究極話せば分かると思う。というかむしろどうでもいいというか。
あんまり気にしてもしょうがないんじゃないかと考えるようになってからは、少しずつお互いの関係が改善されたような気がしています。
当時から今ではもう6年も経っていますが、厳密に言えば今でもその人は苦手だしあんまり好きじゃなかったりします。
でも昔ほど気にならないし、関係性も悪くはなくむしろいい方向へと変わっていっています。
そんな話を友達にしたのですが、そういえばと思い出したのがアドラー心理学でした。
アドラー心理学とは
ぼくのアドバイスよりも友達の状況がもっとよくなるような方法があるかもしれないと思い、いろいろ調べて見ました。
それらをぼくなりの解釈を交えつつ、アドラー心理学とはなんなのかをまとめてみました。
アルフレッド・アドラー(1870~1937)
オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。
1870年2月7日、ウィーンの郊外ルドルフスハイム(ドイツ語版)で、ハンガリー系ユダヤ人の父とチェコスロヴァキア系ユダヤ人の母との間に生まれた。
アドラーが育った家庭はユダヤ人の中産階級に属していて、父親は穀物商を営んでおり、母親は夫の仕事を手伝う勤勉な主婦だった。
アドラーは6人兄弟の次男で、上に2歳上の兄がいた。
アドラーは、このような大家族の中で育ったことが自身のパーソナリティの成長と、後に独自の理論を発展させる基盤になったことを認めている。
原因論と目的論
あなたは自分の人生を、自分だけの責任だけで選択しなければいけません。
そうすればすべてがシンプルになります。
そうできず人生を複雑にしているのは、ほかならぬあなたなのだ、と認識することが大事である。
過去のトラウマは嘘である、とアドラーは言います。
過去の出来事が今の自分に影響していることはありますよね。
でも何かの行動が、今の自分を決定したということは断じてない、と。
アドラーはこうした「原因論」を否定します。
すべての行動には目的があります。それが「目的論」です。
何かの行動に、たとえばトラウマのような原因を求める思考というのはこの目的を隠しているにすぎない、と。
すべての感情や行動は、「ある目的」を達成するために生み出されるそうです。
仕事場での上司とのやりとりについて
仕事場で上司に嫌なことを言われた。嫌な気持ちになったけどガマンする。
しかし、ガマンすることで身体や心がおかしくなってしまいます。
ガマンする必要はありません。なぜなら、あなたのガマンは相手に伝わらないからです。
(゚Д゚)ゴルァ!!
勝手なもので、ガマンしている人に限って「こんなにガマンしているのに、わかってもらえない…」と不満に思います。
これはすごく不健康です。
ガマンするくらいだったら、思いをきちんと相手に言ったほうがいい。
上司にひどいことを言われた。でも言い返せない。
じゃあガマンしよう。
でもそのガマンは、残念ながら上司には伝わりません。上司は相変わらずひどいことを言うでしょう。
それは、あなたがそのような事態を好んで作り出しているからです。
アドラーの考え方では怖い上司はあなたが作り出しているということになります。
あなたとの関係でだけ、その上司は「怖い上司」になることを余儀なくされているからです。
だからあなたがすべきことは、自分の対応のしかたに改善の余地がないか考えることです。
上司にひどいことを言われたらこちらが深刻になってはいけません。
昨日上司にひどいことを言われたらそれは昨日の終わった話であり、今日上司の前に立ったら「よし、今日はそうくるか」と楽しむくらいの気持ちでいい、と。
そうすればやがては上司も「この人に対しては、ほかの人に対してするように、特別な自分を見せなくてもいいんだ」と気づくようになります。
人間関係について
アドラーは、すべての人間関係はヨコの関係である、と考えます。
逆に上司を怖がる人はタテの人間関係を自ら作ってしまっています。
そしてそれを崩すのが怖い。
だけどタテの関係を崩して普通のヨコの関係を築くことは可能である、と。
そのために必要なのは、勇気だけなのだと言っています。
課題の分離について
アドラーは「課題の分離」という考え方も用意しています。
これはぼくたちが何かを選ぶとき、常に「これは誰の課題(問題)なのか?」という視点から、自分の課題と他人の課題をわけることが重要です。
他人の課題には介入せず、自分の課題には介入させない。
そうすれば対人関係にかかわる問題は一気に解決する、とのこと。
たとえばですが、何をしようが怒鳴るだけのクソ上司がいたとします。
いっつもみんなに怒鳴りまくって自分の上司にだけはペコペコする、いわゆる典型的なクソ上司のことです。
このクソ上司の理不尽な感情は、あなたのせいではありません。
クソ上司本人が、治すべき問題ですよね。
あなたやぼくらがするべきことは、会社から与えられた自分の仕事をただただキッチリとこなすこと、のはず。
このクソ上司の感情に対応することが仕事ではありません。
とまぁこんな感じで、自分にできることとできないことを見極める。自分がすべきこととすべきでないことを見極める。
アドラーはこのことを肯定的なあきらめと表現しています。
w(゚o゚)w オオー!
ぼくらはどう生きるべきなのか
上司の理不尽な命令のままに働いて結果として大トラブルが起こってしまったら、あなたはその責任を引き受けるのですからきっと上司のせいにしてしまうと思います。
そんなあなたは仕事に失敗する口実として、上司の存在を用意してしまっているのです。
これを目的論に即して考えればまっとうな仕事ができない自分を認めたくないから、理不尽な上司を作り出しているということになってしまうのです。
人生において他人に責任を負わせてはいけません。同様に過去の自分も他人です。
過去の自分に責任を負わせて逃げてはいけない。
過去は現在を縛るものではありません。また同様に未来で現在を縛るのもいけません。
「いつか本気を出す」と決断を先伸ばしにする人がしますが、この人は「決断したくない」という目的を隠してしまっているのです。
決断したくないのなら誰かが支持してくれるのを待つしかありません。そんな人生はいったい何が面白いのでしょうか。
あなたもぼくも「今、ここ」、この瞬間を真剣に全力で生きるべきなのです。
アドラー心理学を学んで
アドラー心理学は、さまざまな問題に対するひとつの解決策として十分な効果が期待できると思います。
ただ少し気になったのは、この考え方はすべての人に効果があるというわけではないところです。
仕事や人生において、目的意識の高い人が悩んでいる場合にはすごく効果があると思います。
しかし心の状態が不安定な人、にはおすすめしにくいです。
自分で自分を変えていこうとする力が十分でない人は、ダメな自分も素敵な自分も自分なんだと、どんな自分でもまずは受け入れていくことからはじめていくのがいいかもしれないな、と感じました。
以上がアドラー心理学ってすげぇと思ったことについてのまとめでした。